半田法律事務所からみなさまへ
2024.10.10 
コラム
「袴田事件」当時の刑事弁護

 2024年9月26日、いわゆる「袴田事件」の再審において、袴田巌さんに無罪判決がなされ、10月9日に検察官(国)が上訴権を放棄して無罪が確定しました。再審では当時の捜査手法を「証拠のねつ造」があった等厳しく非難しています。また虚偽自白に至るまでの人質司法や袴田さんの人権を無視した苛烈な取調べの問題は今後検証がなされるべきことと思います。

 袴田事件において、違法な捜査・取調べを行った警察やそれを是認した検察、有罪判決を出し、また再審無罪まで長時間を要した裁判所や再審法の不備などは厳しく批判されるべきですが、その中で、当時の弁護人の接見時間や回数が極めて少ないことを取り上げ、弁護士(会)も反省すべきと言う論調も見られます。しかし、袴田事件当時は被疑者段階で弁護人が就くことは稀で、弁護人が就いたとしても一般的指定書による刑訴法39条3項の接見指定(面会切符)が常態化しており、現在とはほど遠い状態であったことをふまえて議論する必要があると考えます。

 袴田事件は1966年(昭和41年)の発生ですが、当時接見交通権に関する最高裁判例はなく(杉山国賠事件の最高裁判決は昭和53年7月10日)、接見交通権に関する下級審判決もほぼ出ていませんでした。また、接見指定に関する一般的指定処分を準抗告で争うことを裁判所が認めだしたのは昭和40年代(鳥取地決S42.3.7など)であり、それまでは一般的指定には処分性がなく準抗告の対象とならないとするのが当局側の見解え、裁判所もこれを是認していたという経緯もあります。

 ですので、袴田事件当時は接見指定を争ったとしても裁判所は前払いをした可能性がありますし、弁護側の主張が認められなかった可能性も高いと思われます。その結果、弁護人の接見は検察官が指定する日時に10~15分程度しかできなかった可能性があり、結果として接見回数が少なくなったとも考えられます。もしそうであれば、これは弁護人の怠慢というより、当時の検察・裁判所がそのような運用を是としていたからに他ならず、裁判所や検察庁(国)の責任です。袴田事件の被疑者段階での弁護活動は現在の刑事弁護実務からみると疑問に思う向きもあると思ういますが、当時の状況を正確に理解しないと適切に論評することはできません。

 平野龍一博士が論文で「我が国の刑事裁判はかなり絶望的である」と書いたのは1985年、袴田事件の19年後です。それから約40年が経ち、一般的指定書の廃止、当番弁護士の開始、被疑者国選弁護人の導入、接見交通権を巡る判例の集積などにより我が国の刑事裁判は多少は改善したと思いたいのですが、過去の歴史を知らない世代が増えるとまた絶望的な時代に戻るのではないかという危惧も持たざるを得ません。我々刑事弁護人は、約60年前の刑事弁護がこれほど絶望的な状況で、それを改善したのは先達の努力であったという歴史を学び、現在の弁護活動に活かす必要があると思います。

 なお、昭和40年当時の接見がどうなっていたかは、同年の日弁連人権擁護大会決議「一般指定書(秘密交通権に関する様式20号)即時撤廃の件」が日弁連ホームページに記録されており、ここから伺うことができます。(https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1965/1965_3.html

 また、1984年の人権大会で「接見交通権確立」に関する決議がなされています。(https://www.nichibenren.or.jp/document/civil_liberties/year/1984/1984_3.html

 接見交通権に関しては、60年以上前の状態から国賠訴訟を積み重ねることによって権利の確立を実現してきましたが、これは本当は異常事態で、国賠訴訟で勝たない限り権利が守られないということは本末転倒です。諸外国では大規模なえん罪事件や捜査機関による人権侵害が発生したことの反省をふまえて、被疑者の権利を保障する方向での立法や制度改正が行われているので、我が国もそうあるべきだと考えます。

(10月11日追記)

9月28日公開の朝日新聞デジタルに袴田事件での弁護活動がどうだったかの記事が出ています。(https://digital.asahi.com/articles/ASS9N0GT3S9NUTIL014M.html)接見指定による時間制限があったとは言え、報道のとおりなら弁護人の聴取や助言も十分ではなかったことになります。とはいえ、当時には現在の「原則黙秘」といったような弁護技術の情報はないことや接見時間が7分間(私であれば多分2時間以上使っていると思います)であったことを前提とすると、報道にある弁護活動は不十分ではあるにせよ、弁護人がなすべきことをなさなかったとも言えないと思いますので、後付けで軽々に批判するのは避けるべきです。むしろ被疑者の権利擁護の観点から「現代の弁護水準の弁護がなされ、接見指定がなければどうだったか」を考えることのほうが有益だと思われます。

なお記事では「初めての接見は逮捕5日目の66年8月22日の7分間。そのうち約5分の会話が、県警に保管されていたテープに残っていた」とありますが、警察が接見内容を傍受・録音していたのでしょうか。そうであれば、警察は明確に刑訴法39条1項に違反する行為を行っていたことであり、こちらのほうが由々しき事態だと思われます。

(半田)